2011年11月11日 (金)

狭山台随想第189話

 狭山台随想一時休止

 毎日一話ずつ書くことを目標としてきた。胸水による呼吸困難が限界に達したため、穿刺手術により先ず左肺から500cc、右肺から700cc計1200ccを抜取った。結果は良好で5日間は歩行を除けば呼吸困難も生じなかった。7日検査のため撮影したレントゲン写真で胸水量が元に戻っていたことを確認する。

 このように5日程度で元に戻る状況は緊急事態と考えられるとのDr.Mの見解である。早速穿刺により左右両肺から1000ccずつ計2000ccを抜いたところ気胸が生じたとのことである。気胸となると重大である。

 周辺の方々が一斉に動いててくれた。貴重な意見を寄せてくれもした。取敢えず専門家が揃っている東京病院に手配がなされた。もしベッド上に人工呼吸装置を取りつけられて動けない単なる延命措置は望まない。その場合は東京病院への入院を取り止める。現状は横臥姿勢で寝ることができない。せめて横臥したいものである。

 今日まで拙文をお読み頂いた各位に深甚なる謝意を表します。狭山台随想の一時休止の止む無き事情をご賢察賜りますよう願い上げます。

 

 

  

 

2011年11月 9日 (水)

狭山台随想第188話

 第二回穿刺手術

 11月2日に受けた穿刺手術の効果を知るため7日朝I病院に出かけた。Dr.Mの要望である。レントゲン写真を見ると、第一回穿刺手術で排出したはずの胸水が復活しているではないか。Dr.Mは緊急手術を行うと決断、実行した。今回は片側1000cc計2000cc抜取った。直ちにレントゲン写真を見る。なんと左の肺が鮮やかに全形を顕している。肺とは大きな臓器と認識した。一方右の肺は高さの1/2から下方が見えない。Dr.Mはちょっと焦った様子である。肺が傷付き気胸になったとのことである。

 気胸は肺の中から空気が漏出し最悪の場合空気が肺を圧迫して握りこぶしくらいに変形させてしまう。当然のことながら人間は死に至る。現状ではいつその状態となるか不明との由、したがって私は余命ゼロから一両日の状態にあることになる。

 I病院は24時間穿刺可能でないばかりか、気胸による呼吸障害発生時の対応設備がないので、呼吸障害が生じたならば救急車に設備のある大病院に連れて行くよう話し、この紹介状を大病院の担当者に渡してもらいなさいとDVDを含めた紹介状を渡された。勿論中を見ることはできない。

 果して緊急状態の私が救急車を呼び大病院に連れて行くと指示できるであろうか。それなら初めから設備のある病院に行っておく方がベターではなかろうか。I病院の医事係クラークが三カ月以内に自分で探した病院へ行くときはこれを持参するようにと「退院証明書」と表書きされた密封書状を渡された。自分で探せと云うことなのであろうか。

2011年11月 6日 (日)

狭山台随想第187話

 目覚めよ日本

 20世紀初期一部の有産階級が同胞を奴隷のように酷使し蓄財できる事業が存在した。炭鉱、北洋漁業など一次産業が主で政権や軍中枢と癒着して発展した。貧富格差社会が産まれると戦争を起し貧しい者のフラストレーションを発散させた。小林多喜二が小説「蟹工船」を書かざるを得なかった時代のことである。

 1918年第一次大戦に敗北し帝政が崩壊してできた通称ワイマール共和国の小さな政治サークル・ドイツ労働者党に1919年入党した30歳のアドルフ・ヒットラーはやがて総統となり、党はナチ党となる。第二次大戦の結末は周知の通りでありアドルフ・ヒットラーはユダヤ人絶滅を図った。ユダヤ人は西暦70年にローマ帝国により滅亡、10人だけ援けられた者の子孫がいま世界で最も知的で巨大な蓄財持ち、アメリカの繁栄に寄与している。アメリカが第一次大戦で最後に参戦したことで敗北したとヒットラーは信じており、第二次大戦中にユダヤ人を絶滅しようとした理由の一つであったと思われる。

 2011年世界の経済は混沌としている。本来アメリカ経済を支えているはずのユダヤ系資金はマネーゲームに使われ、被害国のことなど全く配慮しない。いま加盟をアメリカに約束しようとしているTPPもアメリカ=ユダヤの遠謀術策と考えられる。太平洋に臨む小さな四カ国が互いに一体化し世界に潰されないよう作った協定に大国アメリカが割り込んできたのである。輸出入貿易や諸規制撤廃でメリットがあるのはアメリカだけである。これに加盟を画策する松下政経塾出身の若造どもはまさに国賊と云うべきであろう。

2011年11月 4日 (金)

狭山台随想第186話

 差入れ

 新米を炊きなめこと豆腐の味噌汁を作り、白菜の柚子漬け、やきのり、厚焼き卵、南高梅で朝食をと支度を終えた時、どなたかが訪ねてきた。午前9時30分。

 男性には高齢になるまで「めし」、「風呂」、「茶」の横暴な生活を糟糠の妻相手に平然と送ってきたご仁が多いように思う。定年退職し10年も経つと「いままで家族を養ってきたのだから後はだらけていようと、何かに熱中しようと勝手だ」と妙な論理に迷い込んだ男性が一人暮らしとなりサロンで仲良く勝手なごたくを並べている。

 インターフォンに出るとMr.Kであった。現代には珍しい気の良い男性である。吉野家の牛鍋丼とけんちん汁を手にしている。「病気と聞いたので差入れにきた」との由、見舞いである以上謹んで頂戴した。見ると賞味期限は購入時から1時間。好意を無駄にしたくない。僅かなので具だけ食べて大盛のご飯は食べなかった。正午前、再びMr.Kが姉上からの差入れとして卵とじと煮もの各種を届けてくれた。夕方別の人が銀座千疋屋のオレンジジェリーを見舞いに持参してくれた。88歳の元気な旦那は手作りのロールキャベツを届けてくれた。狭山台に住んで3年半、サロンの人たちの優しさに接した一日であった。

 今朝朝食に用意したものはそっくりそのままテーブルの上に並んでいる。炊いた新米と吉野家の大盛ご飯は手つかずに残っている。来週はご飯を炊く必要がないと思う。

2011年11月 3日 (木)

狭山台随想第185話

 第一回穿刺手術

 昨2日胸水を本格的に抜き取る手術を受けた。抜取り用の針先が肺本体を傷付けると重篤な結果を招く危険な手術である。主治医Dr.Mを信頼しているので全く不安はない。手術開始から約3時間後に撮影したレントゲン写真で、右肺から500cc、左肺から700ccを抜取った結果が明瞭に確認できた。約3カ月前の状態に戻ったことになる。1回に抜取る許容量が1500ccである以上安全を考慮すれば最適な判断と思う。

 さすがに疲れた。少しでも早く寝たい。昨日まで横臥姿勢で寝ると呼吸困難になるため熟睡など思いもよらず数分のまどろみを椅子での座位姿勢で確保せざるを得なかったのである。今夜はどうであろうか。

 恐る恐るベッドに滑り込み、右下の横臥姿勢になる。呼吸できる。胸水を一部抜取った効果を実感した。時々深い咳がでる。肺が膨らむ過程では咳を伴うと聞かされていたので心配することなく久しぶりに熟睡した。人間は横臥姿勢で寝る動物であることを確認した次第である。

 足の強烈な浮腫みが緩和すれば申し分ない。来週Dr.Mと次回の胸水抜取りについて相談する心算である。手際よくDr.Mの施術に助手を務めた看護師にも感謝したい。心配してくれているサロンの人々有難う。東京の氷室さん、大竹さん有難うございました。

2011年11月 2日 (水)

狭山台随想第184話

 医師の決断

 僅かな距離を殆どゼロに近いスピードで歩いても呼吸困難となるばかりか体を横たえても息ができない状態と主治医に話した。さらに両足が爪先から太ももまで浮腫んで樹木の太い幹のようになった状態を見てもらった。

 いつもは穏やかに「どうしますか」と一応患者の希望を聞く主治医Dr.Mは即断した。「明日胸水を抜きましょう」医師の決断である。胸水を強制排除することのメリットとデメリットについてすでに何回か話し合い、強制排除を避けてきたのであるが、今回はこれしか打つ手はないとの判断の結果である。医師としては危険を伴う穿刺を避けることができればしたくはない筈であると想像する。職業であり、知識も技術もあって自信があればこそ回避したくなるのが人間である。主治医Dr.Mに迷惑をかけているのは他ならぬ私なのだ。

 患者は往々にして医師が病を治すものと思い込んでいる。医師は人体の仕組みを学び、さらに研鑽を積み人体の専門家となった職業人であり、発症した病をいかにすればその症状を緩和できるかの知識と技術を身に付けている。なればこそ患者に対し持てる知識と技術を駆使し回復するよう努力するのだが患者自身に人間の自然治癒力を信じて完治すると云う気持ちがなければ病は癒えない。病を完治する責任の半分は患者にある。

2011年10月31日 (月)

狭山台随想第183話

 関東大地震

 いつのことであったか失念したが、3月11日の東日本大震災のあと、このつぎは房総沖を震源とする関東大地震が心配だと云った地震学者がいた。

 福島県沖、宮城県沖、茨城県沖、福島県中通り、茨城県北部、千葉県北東部などのいずれかに毎日震度2~3の地震が発生している。気象庁が3月11日の余震と云うからそうなのであろう。しかし、毎日の地震のなかに震源が千葉県東方沖と云う地震が見え隠れする如く生じている。3月11日の前に小さな地震が三陸沖で繰り返し起きていたが大きな被害を齎すものではなかった。ある研究者は「あれが前震であったのかなあ」とつぶやいていたのを聞いた記憶がある。本震の前に前震と云うのがあるらしいが専門家でも事前に前震と気付かないのだから素人に分かる訳はない。

 今夕19時41分インターネットでニュースが入った。房総沖でスロースリップを観測したと云う防災科学技術研究所の発表である。スロースリップとは地下のプレートがゆっくり滑る現象である。この地点での過去30年間の観測では6年ごとに観測されていたそうである。それが今回は4年2カ月間隔で発生しているとのことである。いまのところ大地震の予測に結び付く訳ではないとしているものの、東日本大震災の地震が関東地方での地震発生を早めている可能性も考えられるそうである。関東大地震をそろそろ覚悟する時期になったような気がする。

2011年10月30日 (日)

狭山台随想第182話

 作家森村誠一に学ぶこと

 再放送のようであったが「森村誠一深夜便スペシャルインタービュー」の後編がラジオから流れてきた。森村誠一は400近い作品と数多くの映画、TVドラマ、写真俳句などの作家として知られている。

 放送の途中からであったが生の声で作家としての哲学を語っていた。彼は1933年生まれであるから間もなく80歳になるはずであるが、あと100作以上書く意気ごみを感じた。

 彼の言のうち『今日が一番若い日である』との思考は大いに学ぶべきと感じた。昨日までは過去であり、過去を消すことはできないし、取り戻すこともできない。過去と云う時間は起きたこととともに永遠の闇に包まれたまま、手の届かないところに貯蔵されてしまったのである。であるならば、これから起きる、起こすことができる明日を考えるべきである。明日より前の今日がこれからの人生で一番若い日なのである。老いを感じる必要はないのである。しかし、平均寿命以上の年月を過ごしてきた身である。いつまでも同じ失敗を繰り返す愚は避けたい。

 まずは目的意識の確立である。森村誠一がミステリー小説をあと100作以上書く作家となることは作品の数だけ全く新しいトリックを考え出すことを意味する。このエネルギーに負けぬ努力が必要となるのである。

 ブログの内容仕訳結果にもよるがこの世に存在した証を残したいものである。

 

2011年10月29日 (土)

狭山台随想第181話

 論語ブーム

 最近若い女性が論語を読み聞かせする素読会を開き子供たちに論語を教えることがブームになっている。

 論語は私たち世代の場合、漢文の教科書のうちの一冊として読まされたものである。「師曰く(ノタマワク)」で始まる調子のよい言葉は、忠君愛国孝養など、明治23年に発布された教育勅語の内容に近い(教育勅語自体儒学者の手になるものである)ので特に有害とは云えない。しかし、素読教師が云うのには「論語は孔子先生のお言葉で有難いもの」と講釈しているのは如何なものであろうか。それもNHKの番組としてである。

 先ず「孔子」とは諸説あるが「孔」が姓、「子」は先生と云う称号、諱は「丘」、字(アザナ)は仲尼(チュウジ)である説によれば「孔子」と云うだけで「孔」先生となる。孔子に心酔するのは結構であるが、基本的なことはきちんと教えて欲しいものである。「論語」にしても「孔子」の没後「孔子」と高弟たちの言行を弟子たちが記録した書物であり、内容の全てが彼女の云うように「孔子」先生のお言葉ではないのである。

 「孔子」は紀元前551年9月28日~紀元前479年4月11日の人生において、名家の生まれであったものの幼くして両親を失い孤児となり苦学を重ね礼学の大家となったと云われている。後に孟子、荀子など優れた後継者が現れ儒教の祖と称される。儒教は朱子学を産み毛沢東による破壊を除き今日まで中国、日本の思想に息付いている。

 

2011年10月28日 (金)

狭山台随想第180話

 姿・形

 「外見で人を判断するな」とは昔から云われてきた戒めの言葉である。サイドバーに掲載した私の顔写真を見た人はどのようにこの人間を見るであろうか。狭山台随想第179話に掲載していた顔写真は一昨年の夏に撮影したものであり当時は極めて健康、身長165㎝、体重65~67㎏、少々メタボ気味であった。今回差し替えた顔写真は2011年10月27日、某所を歩行中に撮影された一枚である。ここのところ体調を崩し、6か月間に体重20㎏減少の姿である。

 右のサイドバーの顔写真と179話まで掲載していた顔写真の人物を同じ人間と見ることができるであろうか。双方とも撮影時の正確な顔を映している。思考に関しても殆ど変化はない。むしろ179話までの写真の時、具体的には本年1月ころ体重が減少し始める以前の方が性格の傾向としては全てに対し闘争心があったように思う。現在は体力が低下した影響か全てのことに穏やかに対処できるようになった気がする。

 人はこのような現象を老いた証拠と云う。毎週会う某氏は88歳、矍鑠として体操のインストラクターの補助を務めている。そのご仁のたまわく『あなたと私は現在ロスタイムに入っている今夜で人生タイムアップかも知れない。自然のままのんびりそのときが来るのを待ちましょうや』。これが彼の人生哲学なのだ。彼は私より2歳半年上である。彼を見ると外見の老化を気にすることはないように思えてくる。

 願わくはデスクにありて文綴り過ぎこしかたを残し果つるを

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